第三場 融け出した心
                     氷高颯矢

「リュートのバカー!」
 翌日、宿の玄関先にティリスの喚き声が響いた。
「一人で仕事探しに行くなんて…ヒドイよ!」
 仕方なくティリスは森の方へ向かった。置いて行かれたのが悔しくてリュートの悪口を言いながらどんどん森の中へと入っていった。
「ラクウェスと会う、約束してるけど…仕事は仕事、それはそれじゃない…」
 来た方向とは違う方へティリスは進んでいた。この村は四方を森に囲まれていて、目印になるものといえば、村の端に方位を表わす小さな石柱があるだけだった。それを越えてしまうと森の中、どこも同じにしか思えない。ティリスは何の迷いも無く歩いていた。すると、風に乗って甘い香りが運ばれてきた。
「うわぁ…綺麗…」
 拓けた場所に出たと思えば、そこは一面の花園だった。
「リュートにも見せてあげたいなぁ…でも、嫌がるかなぁ?……っ!そうだ!折角だから、少しだけでも見せてあげよう…っと!」
 ティリスはすっかり上機嫌で花を摘み始めた。ちょうど小さな花束になりそうなくらい集まった。そこに影が差す。気にせずティリスが更に花を摘もうとした時、スッと形の良い指先がそれを掠め取った。振り返って見上げると見知らぬ男が立っていた。黒衣を身に纏っている。一見すると魔術師という雰囲気だ。
「花は美しい…だが、それは花が儚いものだからだ。人も、また…花のように儚い…。だからこそ、愛しいものなのだろうか…?」
 穏やかな声には悲しみの響きが、細められた瞳には切なさが滲んでいた。ティリスはその瞳に目を奪われた。翡翠色――それはティリスにとって特別な色だった。
「人の命は…儚いものかもしれないけど…でも、人は、精一杯生きていこうとする、強さを持っていると思う。花だって…いつかは枯れてしまうけど、春になれば、また、新しい芽を出すじゃない?だから、美しいと思うし、愛しいと思うんじゃないかしら?」
「成る程、そうかもしれないな…」
 ティリスの言葉にわずかに表情が解かれた。花に向かってかすかに微笑み、顔を上げると遠くを哀しげに見つめる。ティリスはその表情に胸が詰まった。
『俺は、"風"だから――』
 初めて会った時のリュートも同じようにどこか遠くを見て…それは何も映さない哀しい瞳なのだとティリスは感じた。その寂しさを優しさで包んであげられたら…と願って、リュートを追いかけた。同じ瞳をした目の前の人物をティリスは放っておけないと思った。
「あの!これ…貴方にあげます!」
 ティリスは手にした花束を差し出す。
「……?」
「綺麗な花は…見ていて心が癒されます!この花園を持って帰るのは無理だけど…花束なら持って帰れるでしょ?」
 にっこりと微笑んだ。傷ついた魔族の少年に対して見せたのと同じ眼差しで。
「…そうだな、確かに…"花"は見る者の心を癒してくれる。私は、君に癒されたようだ…」
「えっ?」
 急に優しい表情で微笑うので、ティリスはドキッとした。
「君は、懐かしい人に似ている…君のその姿、声、心の在り方…。私にとって、彼女は全てだった…」
 じっと瞳を見つめる。それを逸らす事もできず、ティリスは少し焦る。
「そんなに似てるんですか?」
「ああ…髪や、瞳の色は違うが…良く似ているよ。彼女と、錯覚しそうな程に…」
「だから、私に声を?」
 すると、また最初の哀しげな表情に戻っていた。
「そう…と、言いたかったよ…。偶然だと…」
 手がスッと伸び、包むように頬に触れる。ティリスは急に不安になって彼の瞳を見た。
「その…眼は…」
 身体から力が抜けていく。意識がだんだんと霞んで、何が起こっているのか理解できない。
(金色…)
 崩れ落ちるティリスを支えると、愛しそうに顔にかかった髪を払ってやる。
「散らせてしまうのは…惜しい花だ。ならば…このまま攫ってしまおうか?もし、彼女を…彼女の存在を失ったなら…きっと、あの者は、あの者でいられなくなるだろう…」
 哀れむように瞳を細める。
「君の存在を消したなら、私の傷は癒されるだろうか?」
 眠るティリスに問いかける。
「私は、彼から君を奪い去ろう!君が、たとえ望まなくても…」
 何かを決意したように、ティリスを両腕で抱きかかえると、ゆっくりと歩き出した。風が吹き、辺りに花びらが舞い散る。

 木の陰に隠れてその様子を見ていた者があった。震えて足が動かない。
「――大変だ…!ティリスお姉ちゃんが…!」
 ティリスの姿を見つけたラクウェスがやって来たのと同時に、あの黒衣の男は現れた。魔族であるラクウェスには一目で彼の正体がわかった。
「どうしよう…僕じゃ、あんな強い魔族には勝てないし…。そうだ!あのお兄ちゃんなら、何とかなるかもしれない!」
 ラクウェスはもつれそうになる足を何とか踏ん張って村の方へと走った。

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